青モン族のプリーツスカート
モン(Hmong)族は、その民族衣装の色合いや特徴によって、いくつかのサブ・グループに分かれます。その中でも、「青モン族」と呼ばれる人たちは、たくさんのプリーツの入ったスカートが特徴。
藍染めした布を、細かく細かく指でつまみ、ひだを寄せてしぼり、仕付け糸でしっかりと留めておきます。その布は、女性ひとり分で長さ6メートルほどにもなり、ひだを寄せて、ちょうどよいサイズにしていきます。
そして、そのまましばらく置いて、きれいなプリーツをつくり、新年の訪れと共に、仕付け糸をほどくのだといいます。
昔は、そのまま普段着となるため、一度、仕付け糸をほどいたら、そのままにしておいたが、現在では、次に着る時までプリーツをきれいに保つために、またひだを寄せて仕付け糸で留めておくそうです。
変化していく青モン族のプリーツスカート
伝統的には、手織りした麻布を使うので、6メートルにもなるとかなりの重さになります。最近では、麻布づくりをしている村が、かなり少なくなっているということもあるが、重くて手入れに手間のかかる麻布よりも、薄くて軽い、扱いやすい綿の布を使うことが多くなってきています。
さらに、中国などから安価な化繊布でつくられたスカートは、洗ってもとれることのないプリーツがすでに入っていたり、普段使いには最適で、あっという間に広まり始めています。
上写真のスカートも、綿の布でつくられており、そのバティック(ろうけつ染め)の文様も手描きではなく型染めされたもので、素材も手法も、どんどん簡略化され、本来の伝統的なモン(Hmong)族のプリーツスカートはほとんど姿を消しつつあります。
藍のろうけつ染め綿布は、モン市場でもたくさん売られていますが、麻の反物は、ほとんど見かけなくなってきています。
欧米諸国へ送られるモン族のプリーツスカート
70~80年代にかけて、タイ東北部に作られていたラオス難民キャンプ(1975年-1992年まで)から、多くのモン(Hmong)族の人たちがアメリカやフランス、オーストラリアなどの第三国へ渡っていきました。
そうした人たちは、定住先の国では手に入らない自分たち民族の衣装を、難民キャンプに残る親戚、家族に作って送ってもらっていました。それほどまでに、モン族の人たちにとっての民族衣装は、生活に欠かせないものだったのです。
最近は、当時ほどの注文はなくなっているようですが、今でもまだ、欧米諸国へ送るためにスカートを作っている人もいるといいます。
写真のおばさまが作っているのは、アメリカにいる親戚に頼まれたもので、毎年、新しいプリーツスカートを作り、送っているそうで、そうしたスカートは、お正月の頃になると、アメリカ国内で売られ始めるそうです。
死装束としての白いプリーツスカート
タイ北部の山の方では、定期的に開かれるモン(Hmong)市場でも、プリーツスカートが売られています。自分たちでは、あまり手づくりしなくなった分、市場には、きれいな刺繍やパッチワークのはいったものが並び、たくさんのモン女性たちが品定めしていきます。
そんな中、真っ白なプリーツスカートもよく見かけるが、これは、「白モン(Hmong)族」の女性のもの。「白モン族」の人たちは、普段は黒いズボンをはいているが、お正月などのハレの日には、白いプリーツスカートをはくため、「白モン族」と呼ばれています。
また、亡くなったあと、死装束としても白いスカートをはくため、娘が結婚するときに両親がもたせたり、娘が母親に準備するものであると考えられています。
同じモン族であっても、異なるサブ・グルーブ同士で結婚した場合、例えば、「白モン族」の男性と結婚した場合は白いスカート、「青モン族」の男性と結婚した場合は、「青モン族」の藍染めのスカートをはきます。
昔は、「青モン族」と結婚した「白モン族」の娘に、その両親は「青モン族」のスカートを贈らなければならないのですが、つくり方がわからないため、娘の相手となる「青モン族」の男性の母親のところへ習いに行ったりもしたといいます。
でも今では、どこでも出来合いの既成服を買うことができるため、手づくりする必要もあまりなくなり、お店で買ってきたものを贈ることも増えているようです。
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