モン族の”ぴかぴかの布”の作り方

モン(Hmong)族

 東南アジアのモン(Hmong)族の人たちの文化と、その原点(起源)といわれている中国南部の苗(ミャオ)族の人たちの文化は、これだけ長い時間的にも物理的にも隔たりがあったにも関わらず、共通するところが多い。
 これは、当たり前のようで、当たり前ではない、すごいことなのではないだろうか。

 中国貴州省の苗族は、藍に染め上げた布の表面に卵白や豚の血を塗り、叩いてテカリを出した“ぴかぴかの布”を作ることで知られている。
 そして、ベトナムの黒モン族やタイの青モン族の人たちの間でも、その“ぴかぴかの布は作られている。

 しかし、同じ”ぴかぴかの布”であっても、その作り方は少し異なる。布の表面に何か塗るのではなく、藍染めした布の表面を木片や石、器などで何度も何度も擦ることでテカリを出していくのである。

タイ青モン族の藍染めぴかぴか布の作り方

 タイ北西部の麻づくりからしている青モン族の村では、二人がかりで、つるつるとした陶器の器で全身をつかって上下に擦って光らせていた。一気にやるのは大変なので、少しずつ、手前に布を巻きながら、農閑期など時間のある時に作業を進めていくのである。

タイ青モン族の藍染めぴかぴか布の作り方

 黒モン族の人たちは、その布を一張羅の衣装に仕立て、町の市場やお祭りの時に着て出かけていく。タイの青モン族の人たちの間では、死装束としての丈の長い上着を、“その時”が来るまでに準備しておくという。

 下の写真は、布をぴかぴかにする様子を再現してもらったもので、すでに刺繍入りの衣装をつかっているが、本来は、一枚の長い布の状態で擦り、光らせた後、刺繍をほどこし衣装に仕立てていく。
 こちらの家では、器ではなかったがつるつるの円盤のようなものをつかっていた。

 中国南部の苗族や東南アジアのモン族の人たちの間には、お祭りや儀式などのハレの日の衣装のためであったり、故人の魂が迷わず旅立っていけるように見送るための衣装であったり、用途や意味合いなどは、その国や地域での長い年月の中で変化していくとしても、“ぴかぴかの布”を大切に作り続けているという共通点がある。

 ラオスの白モン族の女性は、生前に、娘や親戚から白い麻のプリーツスカートを贈られるといい、同じモン族であってもその支系や国、地域によって大きく異なることもあるが、それでも、何千キロという物理的な距離があろうとも、何千年という時間的な隔たりがいくらあろうとも、モン族の人たちが共通して持っている、目に見えない民族間のつながりを感じる。

 日本から外に出ることが許されない今(コロナ感染防止のための緊急事態宣言中)、あぁ自分は日本人なのだとつくづく思う。そして、日本人のほとんどがそう思う共通の精神文化のようなものは、どのように作ら上げられていくのだろうか。

 タイに住むラオス難民の家族、そして世界に散らばるモン族の多くの人たちが、自分たちの魂が最後にたどり着くのは、中国の雲南省のとある小さな村だと信じている。

 それは、“ぴかぴかの藍染め布”が世界各地で作り続けられているように、モン族の間で、語り継がれる物語のひとつである。

タイ青モン族の藍染め麻布のぴかぴかの死装束

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