タイ-ミャンマー(ビルマ)国境のカレン族の村で織られる布と『織り人』製品
『織り人(Orijin)』のバッグやポーチなどに使っている布は、タイとミャンマー国境沿いのミャンマー側で織られている布で、多くはタイ側のミャンマー難民キャンプ内で売られている布です。
小川にかかる小さな橋を渡ればそこはミャンマー(ビルマ)。橋を渡ってすぐの村では、あちこちから機織りの音が聞こえてきます。
カレン族の人たちが男性も女性も腰に巻いて使う”ロンジー”のための布は、幅が1mほど必要なため、カレン族伝統の腰機ではなく、写真のような高機で織られます。
足を使い、手を使い、全身を使って精神を集中させ織っていく、とても重労働な作業です。ここで織られた布の多くは、タイ側の布問屋に持ち込まれミャンマー難民キャンプ内で販売されています。
タイ-ミャンマー(ビルマ)国境のカレン族の機織りの未来は…
最初のミャンマー難民キャンプが設置された1984年から30年以上。ようやく2016年10月には、本格的な母国ミャンマー(ビルマ)への帰還事業も始まりました。
徐々に規模が小さくなり、いずれは“なくなること”が前提で、それが望ましい難民キャンプという存在。
しかし、難民キャンプがあることで成り立っていた“仕事”がたくさんあるのも事実であり、そのために引き継がれてきた伝統技術があります。
その一つが、“機織り”です。
今までは、ある程度“仕事”として成り立っていたため、織り子さんたちの中にはまだ、若い女の子や男の子たちの姿も見られましたが、それはあとどのくらい続けていくことができるのでしょうか…。若者たちにとって、“機織り”が未来を夢みることができる“仕事”になりうるのでしょうか…。
1970年代、ラオス難民モン(Hmong)族の人たちの刺繍やアップリケの技術が、難民キャンプから世界へ広がり、有名になったように、難民キャンプという“限られた”“閉鎖的な”空間が、カレン族の機織りの技術の伝承にひと役買い、一時期の若者たちを支えていた(いる)というのは本当に皮肉なことだと思います…。