タイの難民受け入れの歴史

カレン(Karen)族

タイの難民キャンプの現状

 カレン族の村を訪ねるために、タイ北西部のミャンマー(ビルマ)国境沿いの国道を車で走っていると、突然、左側の山の斜面に、たくさんの木造家屋が山頂まで斜面にはりつくように並んでいるのが見えてきた。すると、案内をしてくれていたカレン族のご夫婦が車をとめ、「難民キャンプだよ。」と教えてくれた。車から降りて、少し様子をみていると、どこからともなく子どもたちが駆け寄ってきた。

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 そう、写真からもおわかりのように、道路と村との間には柵もなく、一見すると、他の村との違いは見えない。私たちがテレビでよく目にする難民キャンプの映像は、まわりには、鉄条網が張り巡らされ、外とは遮断されているイメージだが、実は、このように、まわりの村々と同じように見える場所もたくさんある。

 もちろん、中の人たちはキャンプの外に出ることは許されていないが、こうした箇所は多く存在している。

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 それでも、よく見ると、小さな有刺鉄線の柵があり、出入口らしきものが見えた。もちろん、勝手に中に入ることは許されないが、難民キャンプの中には、お店もあれば学校もあり、中の様子は、外からの様子以上に、周辺の村々と何も変わることがない。

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 1984年に設置されたミャンマー(ビルマ)難民キャンプも、今年ですでに38年目となり、キャンプ内で生まれた子、すでに何十年もの間、キャンプの中だけで生活している人、そこはもう他の村と同じように、そこに住む人々の”生活の場”であり、生活のすべてがそこにあるのである。

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再び避難を始めるカレン族の人たち

 タイ北西部の国境地域のミャンマー(ビルマ)難民キャンプは、2021年4月時点で9ヶ所あり、未だ9万2千人ほどの人たちが生活しているという。

 ここ数年は、ミャンマー(ビルマ)とタイ両政府と国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)などが難民問題解決に向けて、2016年から取り組んでいる自主帰還事業も進み、一部では母国ミャンマー(ビルマ)へ帰還した人たちも出てきていた。
 難民キャンプが設立された当初の何十万人という数を思うと、やっと解決の兆しが見え始めたように思えたところ、2月1日、ミャンマー(ビルマ)の軍事クーデターが起こってしまった。

 そして、ミャンマー(ビルマ)の「国軍記念日」の式典が開かれた27日夜から28日未明にかけて、ミャンマー国軍が、ミャンマー南東部カイン(カレン*)州のタイとの国境にある村を空爆したとのニュースが流れた。その後も、複数回の空爆をうけ、多くの避難民が発生しているという。

*1989年、ビルマがミャンマーに改名された同年に、カレン州 (Karen State)はカイン州 (Kayin State)に改名された。

 「カレン民族同盟(KNU)」は、2015年に政府との間で停戦協定に署名しており、「協定に違反して国軍の拠点を攻撃した」ことへの報復とみられている。その辺りは、クーデターに反発する反政府組織「カレン民族同盟(KNU:Karen National Union)」の拠点となっており、空爆後、数千人の住民が村を追われ、タイへ避難を始めたと報じられている。

 タイ政府は、新たな大量難民が発生することを恐れ、空爆後、タイへの避難を試みた避難民の多くはミャンマー(ビルマ)へ戻され、国内の森に身を隠している人たちもいるという。

タイの難民キャンプの歴史と少数民族

 1984年に、ミャンマー(ビルマ)から越境してくる難民を受け入れるために、タイ側に難民キャンプが作られた。当時、タイの難民キャンプ内のミャンマー難民の65%がカレン族であり、政府(ビルマ族)とカレン族との対立には、1886年イギリスの植民地となったことから始まる長い歴史があるといわれる。

 1948年のイギリスからの独立後、ミャンマー(ビルマ)政権は国内の少数民族に対して、ビルマ族と同等の権利を認めず、カレン族は「カレン民族同盟(KNU)」を結成し、民族分離、独立を要求。しかし、受け入れられず、1949年に武装蜂起し、多くの難民を出す結果となった。

 自治を求めて活動する少数民族の武装勢力は、カレン民族同盟(KNU)の他にも、ワ州連合軍(UWSA)、カチン独立軍(KIA)、アラカン軍(AA)、タアン民族解放軍(TNLA)、ミャンマー民族民主同盟軍(MNDAA)など20余りあり、ミャンマー(ビルマ)国土のおおよそ3分の1を支配しているといわれる。

 そのうちのタアン民族解放軍(TNLA)、ミャンマー民族民主同盟軍(MNDAA)およびアラカン軍(AA)の3勢力は、3月30日に、国軍が市民への弾圧をやめない場合は、抗議デモ参加者らと協力し反撃するという共同声明を発表し、それを受け、ミャンマー(ビルマ)政府は、1ヶ月間の停戦を宣言したが、こうした武装勢力が市民側にたち、ミャンマー(ビルマ)政府と戦うということになると、2月1日のクーデター以降の非武装の市民によるデモとはまた違った方向へ進み、更なる事態の悪化を招き、内戦状態に陥る可能性も出てくる。それは、新たな難民を生み出してしまう可能性もあり、先行きが見えない…。

 争いと共に生きてきたカレン族の人たちの悲しい歴史はいつまで続くのか…。
 こうした状況の中で、被害を被るのは、最前線で戦う人たちはもちろんではあるが、いつの間にか、なんの前触れもなく、突然、”最大の被害者”となってしまうのは、いつも”普通の人たち”なのではないかと思うと、心が痛む。

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