今日6月20日は「世界難民の日(World Refugee Day)」
2年ほど前の「世界難民の日」である6月20日に、あるモン(Hmong)族の家族の話を書きました。
『織り人(Orijin)』の刺繍やアップリケを作ってくれているそのモン族の”おかあさん”と娘さんは、ある時期をタイのラオス国境の難民キャンプで過ごしました。
2018年、紛争や迫害により故郷を追われた人の数は7000万人を超えました。(中略)
2018年末の時点で故郷を追われた人の数は7,080万人、そのうち2018年に新たに、もしくは、再び移動を強いられた人は1,360万人におよんでいます。2019年6月にUNHCR本部が発表した年間統計報告書「グローバル・トレンズ・レポート 2018」から引用
そのモン(Hmong)族の家族も、1980年から90年にかけて、こうした何千万もの人たちの中の一人だったのです。
でも、それは”特別な人”であったからではありません。彼らは、ラオスの山奥の村で生活していた”普通の人”たちだったのです。
そのモンの”おかあさん”が、今一番したいこと、心残りなことは、子どもの頃に、きちんと勉強できなかったこと、学校へ行って勉強がしたい、といつも言っています。それは、幼い頃、ラオス国内を転々と避難する生活であったため、学校へ通う機会がなかったからです。
”おかあさん”は、文字はあまり読めないけれど、好奇心旺盛で本が大好き。
以前、タイの教育支援NGO『マレットファン(夢のたね)』が開催する「えほん展」で、世界の学校や日本の山村の養豚農家の日常を写した写真集を、本当に楽しそうに、ずっとながめていました。
そんな”おかあさん”へ、岩手の北上高地の人々を40年間にわたって撮影した「老農」という写真集をおみやげに持っていったことがありました。
その中に写る、モン(Hmong)族の人たちと、とてもよく似た顔つきの日本のおじいちゃん、おばあちゃんの笑顔の写真を一枚一枚、同じ笑顔でながめていました(1枚目:トップの写真)。
種まきの様子を、昔ラオスでの、苦しくも家族みんなで過ごした生活を懐かしむように、親子3代でながめていました。(下の写真)
難民キャンプでは、畑を耕すことも、外へ働きにでることも許されず、日々のあり余る時間を刺繍やアップリケをして過ごしていました。
そこで作られた刺繍のタペストリーやリバースアップリケのベットカバーなどは、タイ国内だけでなく、アメリカやヨーロッパなどでも売れるようになり、難民キャンプ内で確立されたモン族の手しごと文化があります。
それが、先の見えない難民キャンプでの生活を支えてきました。
『織り人(Orijin)』の目指すことは、難民キャンプでの生活を支えてくれたモン(Hmong)族伝統の手しごを続けることによって、彼らが新たに、これからの”未来への夢”をみることができるようになることです。
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