国とは何か、国が守ってくれるということ

いろいろな話

その国の国民として生きる

 普通の人たちは、国に守られているということを普段の生活の中では忘れがちであるけれども、本当は、それは“普通”のことではなく、守ってくれる国、頼れる国がない人たちというのは、実は、世界にはたくさんいるのである。

 守られているからといって、不平不満をいってはいけない、ということではないが、ただ、そういう国への不満を口にすることが許されない(許されなかった)人たち、思うところはあっても口を閉ざし従わざるを得ない(得なかった)人たちが、世界にはたくさんいるのである。

 モン(Hmong)族の人たちは、“自分の国をもったことのない民族”といわれている。
国をつくろうとしなかったわけではないが、その試みはずっと、大国の圧力におされ、常に移住を繰り返してきた歴史がある。
 そんな彼らは、今、難民として世界中に散らばり、その新しい地で、その国の国民となり生きている。

 “モン(Hmong)”としてのプライドを捨てたわけでは、もちろんないが、その国の文化や慣習に従い、世の中の目と戦いながら生きるためには、“受入国”が望むように生きていくしかなかった人たちも多いのだ。

ラオス国境ゲートをくぐり、歩いて中国側のイミグレーションへ。バスで乗り合わせた中国在住のラオスのモン女性が案内してくれた。

国に守られるということ

 それでは、「国に守られる」ということは、どういうことなのか。
 私は、このコロナ禍で、これが、自分は日本国民ということなのだと痛感する体験をした。

 実は、1月の終わりの中国の旧正月(モン正月)に合わせて、ラオス難民であったモン(Hmong)のおとうさん、おかあさんと一緒に、中国雲南省の親戚の家を初めて訪ねる旅にでかけていた。

 その頃はまだ、日本では今のような状況になるとは、まったく考えられていない頃であったが、タイ北部の村を出発し、陸路でラオス国境を渡り、中国国境までたどり着く頃には、“これは、引き返した方がよいのかもしれない…”というただならぬ雰囲気が漂ってきた。
 それでも、それぞれの国境では、いつも以上の厳しいチェックを受けながらも、特に大きな問題はなく入国することができた。

ラオス側のボーテンの町から中国側の町モーハン(磨憨)へ。建設中のアジアハイウェイに沿って中国側のイミグレーションへ向かう。

中国正月休みの時期にもかかわらず、ラオスから北上するトラックが連なっていた。

 そして、その後、なんとか雲南省の山の小さなモン(Hmong)の村にたどり着くことはできたが、その時にはすでに、すぐに引き返した方がよいのではないか、ということになり、村に1泊だけさせてもらい、すぐに帰路につくことになったのである。

 前の日に通った同じ道を戻り、ラオス国境行きのバスターミナルにたどり着くと、あたりに人影はまばらで、昨日のバスターミナルの様子とはまったく異なっていた。“しまった…”と思った時には、もう遅かった…。

 陸路のラオス国境が封鎖され、ラオス国境行きのバスもすべて運休となっていたのである。
 まわりには、私たちと同じ状況と思われる人たちが何人かいたので、様子をうかがうと、どうやら、中国国内のラオス国境手前の町まで行く予定で、国内線の飛行機で行くことを考えているようであった。
 私も、すぐに、これはもう飛行機で脱出(その時は本当にそういう気持ちだった…)するしかない、と私たちのような客を当てにして集まっていた乗り合いタクシーの運転手さんに、国際空港に行きたいのだ、ということを何とか伝え、連れて行ってもらうことになった。

 私は、空港に向かう車の中で、この車はちゃんと空港に連れて行ってくれるのだろうか、ちゃんと国際線空港に到着するだろうか、空港はあいているだろうか、飛行機は飛んでいるだろうか、今日のチケットは取れるだろうか、中国を無事に出国できるだろうか…、と様々な心配事がぐるぐると頭の中をめぐっていた。

 そしてしばらくして、タクシーの走る先に「飞机场(空港)」とかかれた大きな建物が目の前に見えた時、ひとつ目の心配が消えて、「国际(国際)」という文字が電子掲示板に明るく光っているのを見て、2つ目、3つ目の心配が消えていった。
車を降り、足早に空港の出入り口に向かうと、全身防御服の係の人が数人立っていた。
次の心配がまた、どんどんと湧いてきた…。

中国側のイミグレーション。入国審査を受け、中国側の国境の町モーハン(磨憨)へ。

タイ国籍のモンのおとうさんおかあさんと日本国籍の私

 体温チェックや荷物チェックをなんとかクリアして中へ入ると、あいてはいたが人は少なめであった。
 時刻は、チケットカウンターが閉まる目前。
 一番初めに目に入ったカウンターへ駆け寄り、とにかく、今日今からタイへ飛ぶ飛行機のチケットがほしいと伝える。
 入口の防御服の人たちの物々しさとは対照的に、スマホの画面から目を離さないスタッフに、何度も、今日飛ぶタイ行きの飛行機はあるか?今すぐチケットを買いたいのだ!と訴え続けると、しぶしぶこちらを見てくれた。
 私は初めて、先に値段を確認せずに、飛行機のチケットを購入した。

 この時、心に思っていたことは、とにかく、モン(Hmong)のおとうさん、おかあさん、彼ら二人を、なんとしてもタイへ連れて帰らなくては…、という思いしかなかった。
 自分も帰れるのか、という怖さはあったが、その中に、ほんの少し、本当にどうしようもなくなった時、日本政府がなんとかしてくれるだろう、普段はそんなことをこれっぽっちも思ったことはないのに、そんなことを思っていた。

 でも、モン(Hmong)の二人はどうだろうか。彼らは、今ではタイの国籍(ID)を持っているけれど、そこには、難民であったという痕跡が残っている。
 中国にいる今、タイ政府は彼らを守ってくれるだろうか、そんな不安が強かった。

 だからこそ、せめて、タイならどこでもいい、とにかくタイまでたどり着きたい、もうそれしかなかった。
 その日の夜に飛ぶ便の中に、彼らの家のあるタイ北部へ向かう便はなく、一旦バンコクへ向かうことになってしまったが、それでも、中国からタイへの飛行機が明日にでもすべて運休になる可能性もなくはない、とバンコクへ飛んだ。

 飛行機は初めてで、バンコクも初めての彼らは、私の気持ちとは裏腹に、かなり楽しそうであったのがちょっと救われた。
 私はひとり、飛行機の中で、タイにちゃんと入国できるだろうか、と落ち着かない時間を過ごしていた。

 タイに無事着陸し、入国審査の長い列に並んでいると、逆に、彼らはタイ人だから、どういう形であれ、タイへの入国はさせてもらえるだろう、でも私はまだここでも外国人だった、ということを思い出した。
 その時もまた、本当に最悪の時には、日本政府が保護してくれるのではないか、という思いが浮かんできた。

 究極的な精神状況下では、普段は感じたことのない、守ってくれる国があることを思い出す、ということが不思議であり、普段は深く考えていなくとも、日々、日本人として生きてきたのだな、と納得させられる経験であった。

守ってくれる国のない人々

 その後、世界中に広まっていったコロナ禍の中で、すべての国外からの飛行機が運休し、帰国できない自国民に対して、それぞれの国が専用機を飛ばして救出した。
 日本も、都市封鎖された武漢市などに滞在していた日本人を帰国させるためにチャーター機を飛ばしたりした。
 それには、どの国も、その国の国民であること、その国の国籍を持っている人が対象であり、今回のコロナ禍で一番考えさせられたのは、“国(国籍)とは何なのか”、“国に守られるということはどういことなのか”ということであった。

 守ってくれるはずの国がない無国籍の人や、守ってくれるはずの国が敵になった難民の人たちなど、何を支えにして生きていけばよいのか、その不安は計り知れない…。

 今回一緒に旅をしていたモン(Hmong)のおとうさん、おかあさんは、若い頃に、ラオスからタイへ難民として逃れてきたわけであるが、小さな6人乗りの手漕ぎボートに乗りメコン川を渡った時の不安は、私には想像もできないことである。

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