「世界難民の日」に想うこと
今日、6月20日は「世界難民の日(World Refugee Day)」。
『織り人(Orijin)』では、“難民”にかかわりの深い製品を多くあつかっています。
『織り人(Orijin)』の目指すことは、難民キャンプにかかわらず、様々な制限のある環境の中で生活する人たちが、自らの民族伝統の手しごとで、未来への夢をみることができるようになること。
今、一緒に製品づくりに取り組んでいるのは、1980年代、ラオスからタイの難民キャンプに渡ったラオス難民の家族。難民となった人たちの中には、祖国ラオス国内を逃げていた頃のことや、難民キャンプでの生活のことなどを話したがらない人たちも多くいます。
今では、モン(Hmong)族であることを隠すように、名前を変えたり、家でもモン語を話さず、タイ語だけの生活をするようにしている人たちも増えているといいます。
でもその“おかあさん”は、自分がいなくなった後も、子どもたち、そしてその子どもたちへ、「自分の生きてきた証」、「モン族の歩んできた道」を残したい、と強く望んでいます。
『織り人(Orijin)』という名前には、民族の原点、起源(Origin)をたどりたい、という想いを込めています。私も、そんな“おかあさん”の想いを形にできないかと考え、“おかあさん”のお話や語りをまとめ始めました。
モン(Hmong)族は、もともと文字を持たない民族で、大切なことや想いを“歌”にしてきました。それは、本来は“歌”とはいわず、独特の節回しのメロディにのせた即興の語りで、「グゥツィア」と呼ばれるものです。誰でも上手に語れるわけではなく、“おかあさん”は、若い頃はなかなかの歌い手さんだったようです。私は以前から、“おかあさん”が孫をあやしながら歌うこの“語り”に魅了されていました。
今年1月、ラオスの生まれ故郷の村へ里帰りの旅へ、“おかあさん”と一緒に出かけました。“おかあさん”にとっては、約30年ぶりのことです。
そして、その帰りには、タイ国内の難民キャンプ跡地を訪れ、“おかあさん”のたどった道を歩いてきました。そして、その時の想いを語ってもらいました。
その録音した“語り(グゥツィア)”を孫と二人で聞き、アップリケをしながら、娘に“語り”の内容を書き起こしてもらっています。
幼かった“おかあさん”がラオスから唯一持ってくることができたのは、数枚の写真だけでした。
“おかあさん”は言います。
この子(孫娘)が大きくなった時、もう誰も、自分の故郷ラオスの村のことも、難民キャンプでのことも知っている人がいなくなってしまう。せめて、自分の子や孫には、自分がどこから来たのか、どうやって生きてきたのか、“おかあさんの道”を残しておきたい…と。