刺繍は女性のしごと
モン(Hmong)族の人たちは、とても保守的で、特に男性は、女性はこうあるべき、家事は女性の仕事、ましてや刺繍なんて男性がやるものではない!と考えている人も多い。
ある日、モン(Hmong)の男性が刺繍をしているところを見かけた。アメリカの親戚へ送るプリーツスカートを作っている奥さんの横で、黙々と針を動かしていた。
私は、モンの男性が刺繍をする姿を、その時初めて見て、驚いたのを覚えている。
モン(Hmong)族というと、タイ、ラオス、ベトナムと広範囲にわたって生活しているが、その起源(原点)は、中国南部だといわれている。
そのため、言語もそうであるが、衣装や食文化、生活様式など、共通点は非常に多く、遠く離れていても、お互い会ったことがなくても、強い精神的なつながりをもっている。
しかしながら、起源は同じであっても、長い移動の歴史を経て、定住したその地の文化や制度、経験などから、考え方や生活様式は異なってくるものである。
『織り人(Orijin)』のつくり手さんやその家族は、ラオスからタイへ逃れてきたラオス難民の人たちが多く、長い間、タイの難民キャンプの中での生活を経験してきた人たちで、平穏にモン(Hmong)族としての生活文化を変える必要のなかったモンの人たちとは異なる経験をしている。
難民キャンプでの生活には、様々な制約があり、その中でも、働くことが許されないことは、そこで暮らすモンの男性たちにとって、何よりも苦痛であったに違いない。
逆に女性たちは、あり余る時間をつかって、ラオス国内を逃げ回っていた頃にはできなかった刺繍やアップリケ作りに励んでいた。それが、支援に入った国際NGOの人たちの目にとまり、アメリカやヨーロッパで売られるようになり、大きな収入源となり、難民キャンプの中での限られた仕事のひとつとなった。
そんな中、“男が刺繍なんてもっての外!”と考えていたモン(Hmong)の男性たちも、そんなことをいっている場合ではなくなり、一部の男性の中には、女性を手伝い、刺繍の技術を身に付けた人たちがいたのである。
この男性も、長く難民キャンプの生活を経験しており、当時から、奥さんを手伝い、刺繍をしていたのだという。
すでに存在する、それぞれの国の生活様式や文化、それぞれの人の考え方や行動、そういったものを変えることは本当にむずかしいことであるが、難民キャンプでの生活というものは、そうしたことをも変えてしまうほどのものであったのだともいえる。
江戸時代のコレラ蔓延の際に人々の衛生観念が変えられたように、これまでの日本人の常識や疑うことさえなかった固定観念を変えられるのは、”行動が制限された究極の状態”の中でなのかもしれない、と思う。
それは、現在のコロナ禍のような状況も、当てはまるのではないか。日本は今、”新しい生活様式”といわれているが、これを機に日本は変わるべきように変われるだろうか・・・。
モン(Hmong)の女性にとって、不本意ながら、つらい厳しい難民キャンプでの生活が、モン族の刺繍やアップリケの手しごと文化が評価されるきっかけとなり、モン女性の地位を多少なりとも向上させてくれたように。
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