”女性用のロンジーの下を男性が歩くと運気が下がる”と信じられている
5月の半ば、高田馬場のミャンマーレストランで、有志による「ポスターからミャンマーの今をみる」ポスター・写真展覧会が開催された。テレビやネットニュースでも広く取り上げられていたが、ミャンマーの若者たちが、暴力ではなく、アートで人々の心に訴えかけるというものであった。
その中の一枚は、一人の女性の頭上に、ミャンマーの民族衣装であるロンジーの布がはためいているものであった。これは、3月上旬、若者を中心としたデモ隊が、ヤンゴンの街中で、洗濯物を干すようにたくさんのロンジーを、道路をまたいで高くつるした“作戦”を描いたものだった。ミャンマーでは、女性用のロンジーの下を男性が歩くと運気が下がると信じられていることから、ミャンマー政府の治安部隊を立ち往生させるために考えられた奇策であった。
日本のニュースでは、数ある作品の中から、ロンジーがつるされたその絵がよく取り上げられていたが、私はそれを見た瞬間、もやもやとした違和感を感じた。
実際に展示されていたその絵に付けられていた解説には、その絵のモチーフは“女性用のロンジー”であるとしており、“女性用のロンジーの下を男性が歩くと力が弱くなる”と信じられていることが紹介されていた。
背景に布が掛かっていますが、こちらの布は「ロンジー」と呼ばれるミャンマーの伝統的な巻きスカートで、こちらは女性のものとなります。
ミャンマーでは、女性のロンジーの下を男性が歩くと力が弱くなるというような通説があります。
軍は男性が中心ですので、軍の力が弱くなるようにと、市民が工夫して行った実際の活動です。
(展示の解説より)
ロンジーが示す男女の差別
私の感じたこの違和感を明らかにするために、ミャンマーのロンジーについて調べていると、クーデター前の2019年のネット記事が目にとまった。
それは、88年の民主化運動に参加し、ミャンマー軍事政権下の1998年から2004年までの7年間、反政府活動の容疑で刑務所に収監されていた「監獄の芸術家」と呼ばれるティン・リン氏が日本で開催した個展に合わせて行われたトークセッション「ロンジー・プロジェクト 〜女と男の壁をぶち壊せ!〜」の記事であった。
氏は、獄中でも、囚人服をキャンパス代わりにして、注射器やライター、皿など使えるものならなんでもを使い、300点以上の作品を作り続け、機会をみては外へ運び出してもらい、国内外に訴え続けたという。
トークセッションが行われた会場には、天井から女性用のロンジーを吊り下げ、ミャンマーでは女性用のロンジーの下に座る人は誰もいないといわれていることから、あえてそのような展示を試みたという。
ロンジーは、現在でもミャンマーの人たちが日常的に身につけている巻きスカートのような民族衣装で、男性も女性も着用するものであり、他民族国家のミャンマーにおいて、それぞれの民族ごとに異なる色柄の特徴的な布を用い、民族の誇りを表現するものでもある。
しかしながら、男性用ロンジーと女性用ロンジーを一緒に洗濯することはタブーとされていたり、“男性の運気を下げ、権限すら失わせる”と言われているという。男性は女性のロンジーに触れることすら嫌がり、ロンジーはミャンマーにおける男女差別の象徴のようなものだという。
日本で取り上げられたニュースでは、単に”ロンジー“とだけ呼んでいるものが多かったが、私はすぐに、これは”女性用のロンジー“だけを指しているのだろうと思い、ミャンマーにおいて根深く残る男女差別を表現しているようで、やはりそこが、私の違和感の元であった。
ミャンマーの若者の今の抗議活動について、もちろん批判をしたいわけではないということを前置きした上で、これまで、難民となった(少数)民族の人たちから様々な話を聞いてきたが、内戦などの紛争下では、目の前の大きな敵に立ち向かうことだけに目が向けられてしまうため、実はその中に潜む人間の根底にある小さな違和感に気づけないことが多い。
しかしながら、そういう状況下だからこそ、今までは意識していなかったものが表に出てくることも多く、そして、それは人々の無意識の中にある厄介なものだったりする。
今回の絵を描いた若者の心の中にも、昔からの伝統や言い伝え、幼い頃から親や祖父母などによって語り継がれ、心の奥底に蓄積されてきたものが、その絵の中に表現されたわけで、私にとっては、そのことが衝撃的なことだった。
そして、今後、目の前の大きな敵がいなくなったあと、そこに残るのは、また新たな対立を生むであろう男女格差や宗教的・人種的差別、民族迫害…。
ミャンマーだけではないが、世界中の(少数)民族の人たちは、いわれのない差別を受けてきた経験を持つ。そして、悲しいことに、一つの民族の中だけをみても、男性が優位に立ち、女性の地位が無意味におとしめられていることが多い。女性が入れない場所があり、女性ができない事があり、女性には口に出せないことがある…。
多くの民族の間では、女性が男性に従わなくてはならず、民族の伝統だから…、昔からの慣わしだから…、理不尽なことを理不尽とも思わずに見過ごされてきたことが多々あるのが現実である。昔の日本もそうであったように。
『織り人(Orijin)』が目指すもの
そして、そこに立ち向かっていくためには、女性が誇りを持ち、自立して物申せる環境を作らなくてはならない。そのためには、いざというときに自立できるための収入を得ること。その手段の一つが、女性たちが主に担ってきた刺繍や織りなどの手しごとである。
民族出身の女性たちが、理不尽なことに立ち向かうための力を、そして、今の若い人たちでさえ持っているような人々の根底にある固定観念をくつがえす力を持てるように、今の活動を続けている。
*掲載写真と本文との関連はありません。